福島地方裁判所会津若松支部 平成7年(ワ)64号 判決 1997年1月13日
原告
成田征一
同
成田幸子
右訴訟代理人弁護士
原田敬三
同
岡田和樹
被告
福島県
右代表者知事
佐藤栄佐久
右訴訟代理人弁護士
今井吉之
右指定代理人
大和田久男
外二名
主文
一 被告は、原告ら各自に対し、各金二七五一万四五八六円及びこれに対する平成六年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを四分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告は、原告ら各自に対し、各金三五九一万一七一五円及びこれに対する平成六年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、被告の設置している高等学校の柔道部の夏合宿練習中、柔道部員であった原告らの子が横紋筋融解症による急性腎不全により死亡したことについて、柔道部の顧問教諭が、猛暑にもかかわらず激しい練習中に水分、塩分を十分に補給させないと言う誤った指導方法をとったため、横紋筋融解症を引き起こし死亡させたとする国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求事件である。
一 争いのない事実等
1 当事者
被告は、福島県立会津高校(福島県会津若松市表町三番一号所在)を設置、管理しており、白岩格(以下「白岩教諭」という。)は、同校の教諭として勤務し、同校が教育活動の一環として行っている柔道部の顧問をしていた。
成田直行(平成六年八月一〇日当時一六歳。以下「直行」という。)は原告らの次男である。直行は、平成五年四月会津高校に入学し、入学時から柔道部に入部し、平成六年六月には同部の部長となった。
2 本件事故の経緯
(一) 平成六年の夏合宿は、会津高校敷地内に設置された学而記念館(以下「合宿所」という。)・格技場(以下「柔道場」という。)において、同年八月八日(月)から一二日(金)までの五日間の予定で実施され、参加者は在校生一三名(一年生二名、二年生五名、三年生六名)、卒業生(OB)四名及び白岩教諭であった。
(二) 八月八日の練習開始から、直行が体調を崩して倒れた一〇日早朝までの練習等合宿の内容は次のとおりである。
(1) 八月八日
午後一時 合宿所集合
午後二時 合宿の打ち合わせ
午後三時〜午後五時三〇分 柔道場にて練習
準備運動、柔軟運動、寝技
午後四時 二〇分休憩
打ち込み、乱取り、整理運動、正座黙想等
午後六時 夕食
午後六時四〇分 後片付け、風呂、自由時間
午後一〇時 消灯、就寝
(2) 八月九日
午前五時 起床、挨拶、準備運動
午前五時一五分〜午前六時四〇分鶴ヶ城にて練習
鶴ヶ城までランニング、ダッシュ等、ランニング競争(本丸〜武徳殿〜西出丸〜本丸)、整理運動
午前七時 朝食、休憩
午前九時三〇分〜午前一一時三〇分柔道場にて練習
準備運動、柔軟体操、寝技、打ち込み、掛かり稽古、整理運動、正座黙想等、
正午 昼食、休憩
午後三時〜午後五時二〇分 柔道場にて練習
準備運動、筋力トレーニング
午後四時 二〇分間休憩
匍匐運動、技の研究、整理運動、正座黙想等
午後六時 夕食
午後六時四〇分 後片付け、風呂、自由時間
午後一〇時 消灯、就寝
(3) 八月一〇日
午前五時 起床、挨拶、準備運動
午前五時二〇分 四キロメートルほど離れた東山羽黒神社まで往復ランニング予定で合宿所出発
(三) 本件事故の発生
(1) 八月一〇日午前五時四〇分ころ、合宿所から約2.5キロメートルほど離れた所で、ランニング中の直行が歩道に座り込んでいたところを白岩教諭らが発見し、乗用車で合宿所に運んだ。
合宿所に運ばれた直行は、汗を異常にかいていたため他の部員からシャワーをかけてもらったが、状態が改善しなかったため、同日午前六時ころ、白岩教諭の車で財団法人竹田綜合病院に搬送され、入院した。
(2) 直行は、血液検査などの結果、「横紋筋融解症とそれによる急性腎不全」と診断され、点滴、血液透析などの治療を受けたが、八月一一日午後一一時二二分死亡するに至った。
竹田綜合病院では、医師佐藤隆ほか一名が治療を担当したが、その治療経過等は次のとおりである。
ア 入院当時、直行の意識は清明であり、直行は、佐藤医師らに対し、「八日午後から柔道部の合宿をしており、練習は激しかったが部長なので責任上頑張っていた。八日の夕食に大量のカレーライスを食べさせられ、下痢(軟便3回)をし、尿も褐色であった。」などと訴えた。
イ 同日午前九時四〇分の血液検査の結果、CK(クレアチンキナーゼ、測定値40000以上)、LDH(乳酸脱水素酵素、測定値7777)、GOT(グルタミン酸オキザロ酢酸トランスアミナーゼ、測定値2277)などの測定値が高かったため、佐藤医師らは、その発症経過から、脱水と運動負荷などを誘因とする横紋筋融解症とそれに伴う急性腎不全であると診断した。
ウ 治療方法として、補液・昇圧剤やステロイド等の投与・血液透析などの医療措置が講じられた。
エ 佐藤医師は、直行の死亡に至る機序につき、「厳しい暑さの中で、水分や塩分を十分に補給することなく、激しい運動を続けたことが原因で横紋筋の融解を引き起こし、その横紋筋融解により腎不全となった後、高カリウム血症が生じ、高濃度のカリウムを含む血液が心臓に流れ込んで心臓停止を引き起こした。」旨の所見を述べている。(以上(2)につき、甲二、二七、二八、四四)
3 損害の一部填補
原告らは、日本体育学校健康センターから一七〇八万九三〇六円の死亡見舞金を受領した。
二 争点
1 直行が横紋筋融解症による急性腎不全を起こした原因は、本件合宿における脱水及び運動負荷にあるか。
2 白岩教諭の過失の有無
(一) 原告らの主張
白岩教諭は、本件合宿のように猛暑の中生徒に苛酷な練習を行わせる場合には、練習中に水分と塩分を随時適切に補給するよう指導したうえ、生徒の健康状態を十分観察して、体調が不十分の生徒がいるときには運動を中止させるなどして熱中症の発症を防止すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、生徒が練習中及び休憩中に水分を取ることを制限し、あるいは明示的に制限しなかったとしても必要な水分及び塩分を補給するように指導せず、八月九日の練習では直行が相当体力を消耗し、下痢もしていたことを知りながら、合宿参加を中止させて休養させるなどせず、翌一〇日早朝直行をランニングに参加させた結果、同人を死亡させたものであるから、右注意義務を怠った過失がある。
(二) 被告の主張
原告らの主張は争う。
本件合宿の柔道部の練習に苛酷なところはなく、直行の健康状態に異常は見られなかった。しかも、本件合宿当時、熱中症及び横紋筋融解症についての十分な知識は一般に普及していなかったこと、直行は高校生であり、健康状態が不良な場合は申告することが期待されるのにその申告がなく、白岩教諭には直行の健康の異常を覚知することは不可能であったことなどから、白岩教諭には直行の横紋筋融解症の発症について予見可能性がなかった。また、白岩教諭は合宿中生徒に対し水分を取ることを制限するような指導をしたことはない。
3 原告らの損害額
第三 争点に対する判断
一 横紋筋融解症による急性腎不全を起こした原因について
1 横紋筋融解症について
甲七号証の一ないし四、八号証ないし一〇号証、一一号証の一ないし三、一二号証の一ないし三、二九号証、四四号証によれば、以下の事実が認められる。
横紋筋融解症とは、横紋筋の細胞が融けて破壊される疾患で、筋が融解すると筋中に含まれるミオグロビン、P(リン)、K(カリウム)、尿酸などの物質が血中に逸脱し、それらの血中濃度が高値となり、その血液が腎臓に流れるため、尿細管が詰まることなどで腎不全となり、時には死に至る場合がある。横紋筋融解症の原因としては、高温時に水分・塩分を補給することなく激しい運動を続けた場合に発症する熱射病の合併症として起こるケースが多く、高温時に水分・塩分を補給することなく激しい運動を行うことにより、細胞内の電解質のバランスが崩れ、カルシウムイオンの濃度が異常に高まり、細胞が破壊されるものである。
ところで、熱射病とは、暑熱環境の下で激しい運動をした場合などに生じる障害である熱中症の中で最も重篤なもので、熱産生と熱放散のバランスが崩れ、異常な体温の上昇により中枢神経障害が起こり、時には死に至る場合があるが、その予防としては水分等の補給が重要である。
熱中症発症の要因としては、気象要因として気温、湿度、風速、輻射熱等が、運動要因として運動の質と量、休憩の取り方、水分塩分の補給の有無等が、個体要因として健康状態、体力、暑熱馴化の程度等があり、これらの諸要因が複合して熱中症が発症する。
以下、これらの諸要因について検討する。
2 気象要因について
甲六号証の三によれば、会津若松測候所調べによる気象は、合宿一日目の八月八日午後二時の気温は35.9度、湿度は四四パーセント、風速三メートル、午後四時の気温は35.4度、湿度は四二パーセント、風速2.8メートル、午後六時の気温は31.1度、湿度は五四パーセント、風速0.8メートル、同年八月九日午前一〇時の気温は30.2度、湿度は六五パーセント、風速1.2メートル、正午の気温は33.6度、湿度は五七パーセント、風速2.1メートル、午後二時の気温は36.1度、湿度は四二パーセント、風速4.3メートル、午後四時の気温は30.6度、湿度は六六パーセント、風速4.5メートルであった。
甲一〇号証によれば、乾球温度が二八度以上では熱中症の危険が増すので積極的に休息を取り、水分を補給し、三一度以上では熱中症の危険が高いので激しい運動は中止し、三五度以上では運動は原則として中止すべきであるところ、本件合宿中の具体的環境を見るに、本件合宿はトタン屋根(甲四の二)の柔道場内で、一三名の在校生、四名のOB、白岩教諭らで後記のような内容の練習が行われたこと、特に合宿二日目の午前中は若松商業高校の生徒七名及び喜多方工業高校の生徒一二名と一緒に練習が行われたことを考え併せると、たとえ、窓、ドア等を全部開放していたとしても、柔道場内には相当の熱気がこもっていたものと見るべきで、柔道場内の温度・湿気が外気と比べどの程度高かったかは判然としないが、少なくとも外気よりは相当程度高かったものと推認することができ、結局、合宿一日目及び二日目の練習中の屋外及び柔道場内の環境は、激しい運動を行うには熱中症が発症し易い危険な範囲にあり、積極的に休息をとり水分補給を行うべき条件下にあったことが認められる。
なお、甲六号証の一ないし三、九号証、一〇号証、二六号証一ないし五によれば、合宿二日間とも、練習中は、柔道場内外ともに、熱中症の予防のための指標として有用なWBGT(湿球黒球温度)の値も熱中症の危険域に達していたことが認められる。
3 運動要因について
(一) 運動の質と量について
白岩教諭及び証人佐藤毅の各証言によれば、以下の事実が認められる。
合宿一日目は、暑かったため、開始時間が三〇分繰り下げられ、練習は午後三時ころから途中二〇分程度の休憩を挟んで午後五時三〇分ころまで行われ、寝技、立ち技の反復練習、一、二年生が一方に並び、相対するOB、三年生と試合に近い形で技を掛け合う乱取りなどが行われた。
合宿二日目は、午前五時二〇分ころ学校から鶴ヶ城まで走って行き、そこで三〇メートルダッシュを一〇本程度行った後、鶴ヶ城一周ランニングを行ったところ、直行は、一回目、二回目ともに二位であった。同日午前中の練習は、午前九時三〇分ころから、喜多方工業の生徒一二名及び若松商業高校の生徒七名も参加して、途中二〇分程度の休憩を挟んで午前一一時三〇分ころまで、前日とほぼ同じ内容で行われた。同日午後の練習は、暑かったため、開始時間が三〇分繰り下げられ、午後三時ころから途中二〇分程度の休憩を挟んで、OB、三年生が一、二年生に付いて各種の技を実際に掛けて指導する技の研究などが行われた。白岩教諭は、生徒の疲労具合から長い時間練習を行っても無駄と判断して一〇分ほど早く練習を切り上げ、午後五時二〇分ころ終了した。
以上によれば、合宿一日目及び二日目の練習は平常の練習に比較して運動強度が大きいかどうかは別として、前記温度、湿度の下での柔道の練習であることを考慮すれば、運動強度が相当に大きいものであったことが認められる。
(二) 水分の補給について
甲四一号証、白岩教諭の証言及び原告成田幸子本人尋問の結果によれば、合宿一日目の午後の練習中は、喜多方工業高校の先生から差し入れのあったポカリスエットのペットボトル八本程度が用意されたこと、合宿二日目は、黒砂糖湯が2.2リットル保温ポット四本分程度用意されたこと、黒砂糖湯とは、沸かした湯に黒砂糖を溶かしたもので、白岩教諭がかつて恩師から教えられて疲労回復等に良いと考え、合宿の手伝いに来ていた生徒の母親に対し用意するように指示したものであること(ただし、その量については生徒の母親に一任していた。)、生徒の母親は五リットルほどのヤカン二個にそれぞれ四リットル程度の水を入れて約五〇〇グラムの黒砂糖を加えて黒砂糖湯を作り、右保温ポット四本に入れて道場に運んだこと、午後は、右黒砂糖湯の残りにさらに黒砂糖三〇〇グラムを加えたものが出されたことが認められる。
また、白岩教諭の証言によると、同人は、合宿一日目の練習終了後、「水のがぶ飲みをしないよう」注意し、また同日の夕食時に「水をがぶ飲みした者、手を挙げろ」などと指導していたこと、証人佐藤毅の証言によると、合宿に参加したOBである同人は練習中水分を全く補給しなかったことが認められ、右事実からすると、白岩教諭が生徒に対し練習中水分を取らないように指導したとは言えないにしても、練習中にはできるだけ水分を補給しないように黙示的な指導がなされていたことが窺われ、少なくとも練習中は生徒にとって水分を補給しずらい雰囲気があったことが認められる。
そして、甲九、一〇号証、一一号証の一ないし三、一二号証の一ないし三、三〇ないし三五号証によれば、以下の事実が認められる。
暑熱環境下での激しい運動は、体熱放散のため多量の発汗を伴い、例えば、暑熱環境下で行われるラグビー競技などでは、発汗は一時間に一ないし1.5リットルにもなり、一日には七ないし一〇リットルの水分を汗として喪失する。したがって、熱中症を予防するために、運動前に二五〇ないし五〇〇ミリリットルの水分を取り、練習中には汗の量の五〇ないし八〇パーセントを補給することが原則で、摂取する水としては、過度の体温上昇を防ぐために五ないし一五℃に冷やした水で、飲みやすく吸収しやすい0.1ないし0.2パーセントの食塩水で、三ないし五パーセントの糖を含んだものが好ましい。気温の特に高いときには一五分ないし三〇分ごとに飲水休憩を取ることによって体温の上昇が抑えられるので好ましい。なお、甲三〇号証によれば、過激なスポーツであるラグビーの一時間当りの消費熱エネルギーは約七五〇キロカロリーなのに対し、柔道では約七五〇ないし一五〇〇キロカロリーとされており、その運動強度はラグビー以上である。
これら事実に照らすと、前記認定のとおり、合宿二日目は、黒砂糖湯が用意されただけで、しかも黒砂糖湯は熱湯に近いもので暑熱環境下で体温の上昇を予防する観点からは好ましくないものであった上、用意された黒砂糖湯は合宿参加人数に比して量的にも不十分であったものであり、白岩教諭の用意した黒砂糖湯は熱中症を予防する水分として不適切であったばかりか、補給量としても著しく不足していたことが認められる。
4 個体要因について
直行は中学入学と同時に柔道を始め、会津高校入学とともに柔道部に入部し、平成六年六月からは部長になっている。身長一七〇センチメートル、体重七〇キログラムで、本件合宿前は疾患もなく健康体であった(以上、争いはない)。
しかし、白岩教諭及び証人佐藤毅の各証言、原告成田幸子の本人尋問の結果によれば、合宿一日目の夕食の際、直行と肥田野守和(同人も本件合宿中止後に脱水状態で入院治療を受けている。)は、他の生徒が既に食べ終えていたにもかかわらず、夕食のカレーライスを食べきれず、体調が思わしくなかったことが窺われるほか、直行は、合宿二日目の午後の練習の終了間際ころには下痢状態であったことが認められ、前記気象要因及び運動の質、量を考えると、合宿二日目の終了時には、直行は体調を崩しかなり疲労していたことが推認される。
5 以上により認定した本件合宿における柔道場の内外の環境、運動の質及び量、水分補給の程度及び直行の健康状態、佐藤隆医師作成の報告書等を総合すると、直行は暑熱環境下での柔道の練習により、体熱産生、発汗による体液喪失、脱水、更に熱射病を発症し、その合併症として横紋筋融解症を招来して、急性腎不全によって死亡に至ったものと認めるのが相当である(なお、直行は合宿二日目ころ下痢状態にあったが、甲四四号証によれば、下痢の原因としてウイルス性感染症が考えられるとしても、ウイスル性感染症によってはこのような重篤な横紋筋融解症を引き起こすことは考え難い。)。
そして、前記認定の事実及び甲六号証の三、一〇、二七、二八号証によれば、合宿三日目は、午前五時二〇分ころから始まった早朝マラソンにおいて、直行は学校から約2.5キロメートル走った地点で歩道に座り込んでいるところを白岩教諭らに発見されたが、ランニングを開始して二〇分程度しか経過していなかったこと、当日の午前六時における温度は22.9度、湿度は九五パーセント、風速0.4メートルであったこと、白岩教諭は、座り込んでいる直行を発見して直ぐにポカリスエットを与えて水分を補給し、合宿所ではシャワーを浴びさせて体温を冷やすなど熱射病に有効な措置を講じたうえ、発見して約二〇分後には竹田綜合病院に搬送していること、同病院の佐藤医師らは、直行に高張性脱水症状が見られたことから横紋筋融解による急性腎不全を疑い、直ちに入院させ、補液、昇圧剤等の投与、透析などの治療を行なったが、その後、佐藤医師らの治療方法に特段不適切な点がなかったにも関わらず、容体が悪化し死亡したことなどが認められるところ、これら認定事実から考えると、合宿三日目の早朝マラソン中に倒れた際には、直行の脱水症状は既に相当重症な状態にあったことが推認される。
二 被告の責任について
1 白岩教諭の注意義務
高校の部活動は、学校教育活動の一環として行われるものであるから、現にその指導を担当する顧問教諭は、本件合宿参加生徒に対し、合宿練習中、生徒の健康状態に留意し、生徒の健康に異常が生じないように注意し、生徒の健康状態に異常を発見した場合は速やかに応急措置を採る等して生徒の健康を損ねさせないよう注意すべき義務を負うものであることは言うまでもない。特に本件合宿が高気温の夏期に実施されたのであるから、体調を崩す生徒が生じることは十分予想できることであり、顧問教諭にはより一層の注意義務が課せられると言うべきである。殊に、白岩教諭の証言によれば、五年前の柔道部の夏期合宿において、参加した生徒が脱水症状で倒れ入院したという経験を有するというのであるから、暑熱環境下での激しい練習では脱水状態に陥る生徒が生ずる可能性があることは当然に予見できたはずである。
そして、甲九、一〇号証、一一号証の一ないし三、一二号証の一ないし三、一三号証の一ないし三、二九号証、三一ないし三五号証によれば、本件合宿当時、暑熱環境下での激しい運動では脱水症状が起こる危険性が高いこと、その予防法として気象環境、運動の強度などに適応した水分・塩分の補給が必要かつ効果的であることなど、スポーツ関係者の間では周知されていたと推認されるところであって、前記認定の本件合宿中における気温湿度等の気象要因、運動の質及び量等の諸般の事情に鑑みれば、合宿に参加した直行ら生徒が水分を十分補給せずに過度の運動を行うことで熱中症等の疾患を発症させる可能性が極めて高かったのであるから、白岩教諭は、直行ら生徒の運動内容及び量、休憩の取り方に配慮するとともに、積極的に必要な量の水分・塩分を補給させ、直行ら生徒に熱中症等の疾患の原因となる事情を発生させないよう注意すべき義務があった。
なお、被告は、熱中症及び横紋筋融解症についての十分な知識は一般に普及していなかったこと、直行は高校生であり、健康状態が不良な場合は申告することが期待されるのに申告がなかったこと等から、白岩教諭には直行の横紋筋融解症の発症について予見可能性がなかった旨主張するが、確かに熱中症及び横紋筋融解症の発生機序、予防法、治療法等の専門的知識にわたる部分はともかくとして、前記認定のとおり、白岩教諭は、少なくとも高温多湿な環境下で過度な運動を行うとしばしば熱中症が発症することについて予見しうる経験を有していたこと、そして、本件合宿当時には、暑熱環境下での激しい運動では脱水症状が起こる危険性が高いこと、その予防法として気象環境、運動の強度などに適応した水分・塩分の補給が必要かつ効果的であることなど、スポーツ関係者の間では周知されていたと推認されること、更に、白岩教諭が倒れた直後に直行に対して行った水分の補給や体を冷やすなどの処置は熱射病に対する救急処置として適切なものであって、熱中症及びその救急処置に関し相当の知識を有していたものと推認しうることなどに鑑み、被告の右主張はにわかに採用できない。
2 注意義務違反
白岩教諭は、その証言において、「汗をかいた分だけ水分を補給しろ」という指導をし、水分補給については個々の生徒の判断にまかせていたなどと述べているけれども、前記認定のとおり、合宿練習中の水分補給については、生徒の母親に黒砂糖湯を用意するように指示しただけで、その量は生徒の母親に任せたまま、自ら、直行ら生徒に対し、当該気温湿度、運動の質及び量に応じて必要な水分を補給するように具体的な指導・措置は講じていなかったばかりか、白岩教諭が生徒に対し練習中水分を取らないように指導していたとは言えないにしても、練習中にはできるだけ水分を補給しないように黙示的な指導がなされていたことが窺われ、少なくとも練習中は生徒にとって水分を補給しずらい雰囲気があったことは明らかであり、これら認定によれば、白岩教諭において、直行ら生徒の運動内容及び量、休憩の取り方に配慮するとともに、積極的に必要な量の水分・塩分を補給させ、直行ら生徒に熱中症等の疾患の原因となる事情を発生させないよう注意すべき義務を怠っていたものと言わざるを得ない。その結果、本件合宿に参加していた直行及び前記肥田野守和をして脱水状態を招来させ、更に、直行につき横紋筋融解を発症させ、それに伴う急性腎不全により死亡させるに至ったものである。
以上によれば、被告は、被告の公務員である白岩教諭が職務執行中に過失により発生させた本件事故による損害について、国家賠償法一条一項による責任がある。
三 損害額
1 逸失利益
直行は死亡当時一六歳であって、一八歳から六七歳までは稼働可能であり、その間平成六年賃金センサス第一巻産業計・企業規模計・学歴計男子労働者の年収額五五七万二八〇〇円を基礎に計算した額の収入を得られたと推認することができる。その間の直行の生活費割合は五割と見るのが相当である。
よって、右を基礎にライプニッツ式計算方法で求められた直行の死亡による逸失利益の現価は次の式のとおり四五九一万八四七八円となる。なお、直行が大学に進学する蓋然性を認めるに足りる証拠はない。
5572800×0.5×(18.3389−1.8594)=45918478
2 直行の慰謝料
以上認定の諸般の事情を考慮すると、直行の慰謝料は一四〇〇万円を下らないものと認定するのが相当である。
3 原告らの慰謝料
原告らは直行の右慰謝料を相続することなど諸般の事情を考慮すると、原告らの慰謝料としては各三〇〇万円が相当である。
4 葬儀費用
弁論の全趣旨によれば、原告らは直行の葬儀のため葬儀費用一二〇万円を支出したことが認められる。
5 損害額及びその一部の填補
原告らは直行の父母であるから右1及び2の損害額を二分の一ずつの割合で相続し、右3の各自の慰謝料額及び右4の費用(これについては原告らは平等割合で支出したと認めるのが相当である。)を合計すると、被告が原告らに対し賠償すべき損害額は、各三三五五万九二三九円となるが、原告らが損害の填補として受領した金員(一七〇八万九三〇六円を按分した各八五四万四六五三円)を控除すると、被告が原告らに対して賠償すべき損害額は、各二五〇一万四五八六円となる。
6 弁護士費用
本件事案の難易、訴訟の経過、本件認容額等を考慮して、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害は、原告らにつき各二五〇万円と認めるのが相当である。
7 合計額
原告らの損害合計は各二七五一万四五八六円となる。
(裁判長裁判官木下徹信 裁判官加藤就一 裁判官大澤晃)